2010年11月アーカイブ

渋沢栄一と益田孝は大蔵省と協議の上、とりあえず強引に日本から香港領事館へ日本銅貨を送ることにしました。


そこで旧、厘銅貨5千円、ついで5銭と10銭小銀貨5000円を香港領事館宛に送り、三井物産社員をこれにつき添わせ派遣しました。


そのときつき添って香港にきた三井社員は執行弘道です。


彼は元来外務省にいた人で、明治9年11月から約1年間、厘門領事館に勤務していた中国通です。


明治10年末、三井物産香港支店設立の動きとともに、外務省から三井に移ってきたのです。


そして翌明治11年初頭早々、香港に到着して、日本から送られてきた第2回分の貨幣として、貿易銀1万円と少額銀貨5000円を受けとります。


こうして日本政府は着々と既成事実をつくる一方、安藤領事は寺島外務卿の命令をうけ、香港総督に対し日本銀を香港通貨として認められるよう働きかけたのです。


今で言う物流センターのような働きをしたわけですね。


ここで香港政庁がどうして香港通貨を鋳造しなかったのかという疑問が当然でてくるわけですが、そうした疑問に答えるため一言ふれておくと・・・


たしかに香港には通貨鋳造のために1866年造幣局を設立し、この年の4月から作業を開始したのでした。


この設立の費用40万ドル、しかも1か年の経費が7万ドル、という多額の経費をかけたにもかかわらず、鋳造の成績はかんばしくなかったのです。


そこで2年後の1868年には造幣局を閉鎖し、鋳造機械はこれを6万ドルで日本に売渡したのです。


この機械が大阪の造幣局に入ることになるわけですが、いずれにしても当時香港はそれ自身の香港通貨をもっていなかったのです。


相かわらずメキシコドルが主要な決済手段になっていました。


そこへ貿易銀をもって香港法貨とすべく割り込もうとしたのが日本です。

板ガラスは、珪酸、ソーダ灰、石灰石などを高温で溶かした後に冷やして製造します。

この「学校用強化ガラス」の化学組成も、ふつうの板ガラスと全く変わりません。

というより、いったんつくった、ふつうの板ガラス(元板)を物理的にニ次加工した製品なのです。

まず、元板を、ドロドロの液体状になる寸前、具体的には摂氏700度で加熱します。

その後、常温の空気を均一に吹きつけ急冷するのです。

このニ次加工を施すと、ガラスの両面は焼きが入った状態になり、圧縮応力(身をちぢめようとする力)が形成されます。

ガラスに何かが当たったときは、ガラスを破損しようとする引張応力(引っぱろうとする力)が働きますが、あらかじめ圧縮応力を与えてあるので両者は打ち消しあい、破損しにくくなるのです。

結果的に、強度の高いガラスになるわけです。

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